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さやうなら日本東京

【さやうなら日本東京】

 

ぽつぽつ櫻もふくらんだ

旅立たうわれらの仲間

名にしおふ都どり

追風だ 北をさせ

さやうなら吾妻橋

言問 白鬚

さやうなら日本東京

さやうなら闇市

さやうなら鳩の街

新宿上野のお嬢さん

一萬人の靴磨き

さやうなら日本東京

さやうならカストリ屋臺

さやうなら平澤畫伯

さやうならさやうなら

二十の扉 のど自慢

さやうならJOAK

八木節と森の石松

さやうなら日本東京

さやうならエノケン

さやうならバンツマ

さやうなら元氣でゐたまへ

丸の内お濠の松

さやうなら象徴さん

さやうならその御夫人

数寄屋橋畔アルバイ

南京豆と寶くじ

インフルエンザとストライキ

さやうなら日本東京

ポンポン蒸気の煙の輪

なつかしい隅田川

さやうなら日本東京

 

 

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三好達治詩集「駱駝の瘤にまたがつて」より【さやうなら日本東京】です。
拙くはあるんですが感想と自分なりの解釈というか資料めいたものを載せておきたいと思います。

 

 

 

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>ぽつぽつ櫻もふくらんだ
>旅立たうわれらの仲間
>名にしおふ都どり


>追風だ 北をさせ
>さやうなら吾妻橋
>言問 白鬚
>さやうなら日本東京

 

「都どり」一説にカモメと言われています。
吾妻橋」「言問」「白鬚」どれも隅田川沿いの橋の名前です。

 

これは「伊勢物語」を下敷きにしています。
>名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
友達と一緒に京都から旅をして、隅田川で舟に乗るとき、知らない鳥が居るので渡守に名前を聞いたら「都鳥だ」と言われ、「都の名前がついているならたずねよう、私の思う人は無事でいるのか」というワンシーンがあります。
三好達治で鴎というと、処女詩集「測量船」の一番最初の詩【春の岬】。

 

>春の岬旅のをはりの鴎どり
>浮きつつ遠くなりにけるかも

 

ここでは「旅のをはり」と言っていますが、この作品では「旅立たう」と言っています。また、季節はどちらも春です。
伊勢物語は主人公が在原業平といわれ、実際に業平橋(現在のスカイツリーのあたり)という地名も残っています。
そこから「北をさせ」として、吾妻橋言問橋、白鬚橋と、隅田川を遡上していきます。

 

 

 

>さやうなら闇市
>さやうなら鳩の街
>新宿上野のお嬢さん
>一萬人の靴磨き
>さやうなら日本東京
>さやうならカストリ屋臺
>さやうなら平澤畫伯

 

「駱駝の瘤にまたがつて」は昭和27330日に発行されています。前年12月には米以外の食品が自由に売買されることになり、いわゆる「ヤミ物資」がなくなったので、闇市も消滅したのです。
新宿・上野はどちらも大きな闇市・風俗街でした。
「鳩の街」とはいわゆる赤線地帯、墨田区東向島のあたりです。娼家が108軒もあったというから驚きです。
したがって、ここでの「お嬢さん」はハイカラな女の子よりも、むしろパンパンではないかと思います。
靴磨きについては、こちらの回答が大変良かったのでそのままリンクしたい。

戦後、靴磨きの職業がはやったのはなぜ? - 歴史 | 【OKWAVE】

「屋臺」は「屋台」のこと。この字を探すのに大変苦労しました。カストリという粗悪な密造酒を引いた屋台がたくさん出回っていました。
「平澤畫伯」は「画伯」のこと。これも漢字を出すのが大変でした。
平沢貞通、帝銀事件1948年に帝銀の行員12人が毒で殺された事件)の首謀者として逮捕された人です。死刑が確定しながらも40年近く獄中で過ごしました。

 

ここでは前半の古典な雰囲気とうってかわって、闇市、鳩の街、お嬢さん、靴磨き、カストリ屋台と、決して日の目は浴びないけれど、生きていこうとする力強いワードが続く。
平沢貞通の「画伯」である部分にさよならをするというのも、後段に出てくる「象徴さん」へ効いてきます。

 

 

 

>さやうならさやうなら
>二十の扉 のど自慢
>さやうならJOAK
>八木節と森の石松
>さやうなら日本東京
>さやうならエノケン
>さやうならバンツマ

 

「二十のとびら」NHKラジオのクイズ番組。のど自慢も同様です。
JOAKNHK東京ラジオ放送局のコールサインです。URLみたいなものでしょうか。
「八木節」民謡で、多くの替え歌が残っています。「森の石松」もその一つ。藤田進や田崎潤が主演の映画もあります。ヒットしたのかどうかは不明です。
エノケン」は榎本健一、「バンツマ」は阪東妻三郎。どちらもスター俳優で、エノケン森の石松の映画に出ています。

 

三好達治の詩は読んでいてテンポのいいものが多いです。私は最初何かの歌詞かと思うぐらいにリズムが気持ち良かった。
この部分では
「さやうなら二十のとびら
 さやうならのど自慢」
としてもリズムとしては問題なさそうなのを、あえて
「さやうならさやうなら
 二十のとびら のど自慢」
として、ちょっと調子をずらすことで、逆に印象深くしています。
私は作曲などはしないんですが、確かに音楽などの三番は、印象的な出だしが多い気がしますね。

ラジオ放送や俳優の名前が出る、ここはとても俗的です。
三好達治は随筆を見ると、わりとラジオを聞いていたように思います。「天竜三郎などは父の声に似ている気がする」とも書いていました。

 

 

 

>さやうなら元氣でゐたまへ
>丸の内お濠の松
>さやうなら象徴さん
>さやうならその御夫人
数寄屋橋畔アルバイ
>南京豆と寶くじ
>インフルエンザとストライキ

 

数寄屋橋数寄屋橋は今でこそ地名ですが、もともとは橋でした。高速道路を造るために埋め立てたのです。
パンパンの待ち合わせ場所として使われたり、「君の名は」でよく題材になる場所です。

むかしの装い : 明治・大正から昭和の数寄屋橋

「南京豆」いわゆる落花生です。戦後は栄養価が高いとして人気が出ましたが、十分に供給できなかったために価格が暴騰、1kgあたり340円近くにまで跳ね上がります。
先物取引としてもよく使われ、「寶くじ(宝くじ)」と合わせて、前半の靴磨きなどの体を張った仕事とは遠いものとして挙げられています。
「インフルエンザ」特別この時期に流行したという文献は見つかりません。しかし1950年にC型インフルエンザが見つかったそうです。
ストライキ」結構いろいろありますが、時期的に一番近いのは東宝争議かなと思います。GHQが介入したのも一部で問題になりました。

 

ここはとてもフォークでありパンクですね。「象徴さん」はもちろんお堀の向こうのあの人です。親しげでありながらフワッとした言い回し。
この詩全体を通して遠回しな表現が「お嬢さん」と「象徴さん」だけで、「御夫人」はその中間といったところでしょうか。
この詩には空白行がありませんので、区切っているのは私の勘です。
しかしこの記事を書いていて、七行で区切るのが適切かなと思いそうしています。

 

 

 

>さやうなら日本東京
>ポンポン蒸気の煙の輪
>なつかしい隅田川
>さやうなら日本東京

 

隅田川の蒸気船は、1885年から始まり、東京大空襲で一旦取りやめてから、1950年に再開します。この本が出版された頃に、終わったものでも始まったものでもないんですね。
というより、だからこそ最後に使われているのだと思います。
戦争で分断されたもの、始まるもの、終わるもの、人間の営み、それらすべてを皮肉るわけでも賛美するわけでもなく、川はひたすらに流れている。
それらすべてに「さやうなら」をする……私の見解では、したいのだと思います。
なぜなら三好達治1944年に東京に移り住んでから、1964年に死ぬまで、そこを離れませんでした。発行後12年も東京に住んでいたわけです。
随筆を読むと度々「定住したくないけど色々あってそうもいかない」というようなことを書いています。
「煙の輪」はそのような、自分を支えもするけど逆に縛りもする、不確かな絆(ひいては戦時中に掲げた日の丸の輪のようにすら)思えます。

 

個人的に三好達治の詩は、ぐさっとくるようなものはあまりありません。そのかわりに、時間の深みが感じられます。
どこかで(本当に申し訳ありません)見た感想で、「中也や朔太郎の詩はハッとする表現を使う、現代的なものだ。達治の詩は永遠性がある」というものがありました。
確かにその通りで、花の美しさや鳥の孤独や海の優しさなどを、情感で歌い上げるようなものが多いです。これは言葉の意味さえ知っていれば、子供でも大人でも、北から南、どの時代でも通じる気がします。
ですがこの詩は単語を逐一資料にあたらねばならず、インフルエンザに至ってはどう関連しているのかよく分かりませんでした。その時代の人なら分かるもの、つまり現代的な詩です。

著作権の切れる没後50年が2015年であったことを鑑みても、この詩はあんまりネットに情報がないと思ったので、載せました。
私は三好達治の詩では最も好きです。
最後に、2番目に好きな詩を載せて終わりにします。

 

 

 

【日まはり】

 

日まはり

日まはり

私の胸におくために

この勲章は上出来だ

私の生涯の終つた日に

友よ私の胸におけ

この黄金の大輪の

さも重たげな一輪を

花の言葉に聴き惚れて

つい人の世に夢を見て

夢からさめずにゆきすぎた

仕合せな

不仕合わせな

これはその男のための勲章だ

日まはり

日まはり